Google騒動

法律が活用できていない

ストリート・ビューでプライバシーの概念を無視し、マイマップでセキュリティの概念を破壊したGoogle。明らかに個人情報保護法の趣旨に反しているが、監督官庁総務省は何もしない。実は日本に個人情報保護というものはなく、OACD勧告に従って「表面上、法整備しただけだった」ということが今回の騒動で明らかになった。
2008年10月29日の産経新聞の報道「Googleストリートビューに波紋広がる」*1では、市議会が「国や都に規制や法整備を求めている。」というが、個人情報保護法に従って定められたプロセスを進めればいいだけのことだ。表現の自由の論争に巻き込まれて新たな法整備が進むことは期待できない。今の法律でやればいい。Googleが個人に責任を押し付けているが、監督官庁から勧告が出れば、マスコミの取り上げ方も大きく変わると期待している。ところが総務省

「非常に関心を持っている」として注視している。

何もしていないではないか。ここまでひどい情報漏洩を放っておいて、他にどういう目的で個人情報保護法を使うのか。
きっと、人やものが具体的に動いているところをおさえないと、行政は現象を把握できないのである。漏洩した人がいたとか、媒体を紛失したとか。ところが、今回は情報が一人歩きしているだけと勘違いされているのだと思う。Googleの構造を理解して指摘することができないから、という想像もできる。

情報は資産である

情報技術の分野でセキュリティが取り組まれたことによって、この分野では情報が「情報資産」と呼ばれることがある。日本語で資産という言葉は財産と混同されることが多いので「情報なんて持っていてもお金にならない」と誤解されることがあるが、金銀宝石の財産とは違う概念であって、このような特徴を持つ。

  • 持っているだけでは価値がない
  • (財宝とは異なり)そのものの価値は必ずしも重要ではなく*2、人が有効に使うことで価値が生じる
  • 価値を見込んでくれる相手がもしいれば、譲渡(売買)可能である
  • 持っているだけで費用(リスク)が発生することがある*3
  • 下手をすれば、将来の価値より費用(リスク)が上回るかもしれない
  • 価値は上がることもあれば下がることもある
  • 価値は見る人によって変わる*4

マイマップで公開されてしまった個人情報もこういう性質のものである。管理料も支払わずに、まったく利害関係のない他人に預けたというのはどうしてか。さらには、他人から預かった情報を載せた人もいるというが、どうしてそこまで大胆になれるのか。便利で無料だということが魅力的だったのだろうか。しかし「ただより高いものはない」という慣用句がずばり当てはまる。
情報を有料で預けたとすると、預かる側は自分の信頼性を説明し、責任範囲や万が一の補償について契約を交わすことになる。しかし無料のサービスにはそれはない。利用者が守るべき義務や、利用者が受け入れるべき免責事項を一方的に押し付けられる。サービスが変わったら自分で調べて前との違いを確認しなければならない。勝手に変わっていても期待した水準に達していなくても苦情を言うのはむなしく、やめる自由しかない。ところが、情報は相手に預けてしまっている以上、情報の行方は確実ではない。かなり無料の代償は大きい。
情報を預けていることに何ら相互的な約束はなく、情報は大切な資産であるという合意や共通認識もなかった。他人の情報をマップに載せてしまった人はGoogleの対応や、アプリケーション設計の欠陥に苦情を言う以前に、無料のサービスを使うことに抵抗感を持たなかったことを反省すべきである。
わたしは長年はてなを使っているが、日記ではないので、書き込みがある日全部消えたら残念には思うが、はてなを訴えようとは思わない。このような感覚で無料のサービスを使うことを割り切っている。書いている文書に資産としての性質を感じるものの、それは公開のブログでさらすことによって、キーワードなどにリンクがついて、他の人が似たようなことを考えているかを探すことに使うことができる程度のものだ。自分の文書でお金儲けができるとは思っていないので、自分が考える資産的価値の範囲で最大限使っているつもりだ。「1年前は何を書いたかな」などと、過去の書き込みを遡ることはないので、最悪消えてもよい。そこにお金をかける必要はない。だからこのサービスで十分と思っている。ただ、今後、書いたものが惜しくなったらバックアップをとったり、有料のサービスに乗り換えるかもしれない。必要に応じて見直していくだろう。
情報に限らず、自分の何かを他人に預けるときは、慎重に考えたほうがいいと思う。

*1:http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/29/news036.html

*2:そのものが財産価値を持っていてもいいが、資産の定義とは関係ない

*3:価値を意識していない他人に持たせればなおさらリスクが大きくなる

*4:会計の世界では、誰が見ても同じになるようにお金ではかることにした。ところが、市場の発達は値段も変わってしまうので時価会計などというものも発明した。さらには、格付けなんてものもできたが、しょせんは何の価値に絶対はないのである・・・かなり話が脱線