バレーボール オリンピック最終予選で、テレビの感想

 2008年5月の北京オリンピック最終予選は、フジテレビとTBSが共同放送している。同じ会場の同じ大会を日替わりで異なる局で行うから、各局アナウンサーの個性がはっきり出る。
 フジテレビは、身長などの個性差がある選手がどこのポジションにいるかに焦点を絞って実況している。試合が大きく動かないセット前半は会場の音を拾うようにしている。
 一方、TBSは全体の状況*1、データ、解説者との会話、試合前の取材結果を織り交ぜながら流す旧来のやり方。しかしそれはラジオの手法であり、今のテレビには合わない。
 視聴者は選手との一体感を求めている。現代の国際試合はデータ重視が叫ばれているが、1点を争う場面でデータが必要なのはコーチとアナリスト*2だけである。監督と選手はボールとチームメンバーの動きに集中していて、視聴者も同じ所に視線が行くと考えるのが普通だという仮説が正しければ、○○率が○%の類は全くいらない。ところがTBSは、落ち着いているときも盛り上がっているときも、ひたすら全体の状況→データ→解説者→取材結果の言葉のたらい回しを続けてやめようとしない。特に、データに非常にこだわっている。どうしてもデータを出したいなら、デジタルテレビを購入した人向け特典として右下にちょこんと出しておけばいいではないか*3。解説者もアナウンサーがいつまでもしゃべるから、たまにマイクが回ってくると負けじとしゃべる。
 かつては、テレビはながら見するものだと言われた。「渡る世間は鬼ばかり」に代表されるように、台所で洗い物をしながらでも耳で流れがわかるのが好ましいとされたが、台所作業は機械化が進んでいるし、ながら見の主役はパソコンである。テレビは、大型テレビの普及に伴って臨場感を提供するメディアに変わってきているのである。ワンセグも横長画面で、従来の携帯テレビに比べれば画像も音もずっと良い。画像と生音にもっとこだわってほしい。
 わたしは、TBSアナウンサーの実況をワンセグで見ていた。聞いていたではなく、見ていた。コートの外のしゃべり声が、文字に変換されて、時間差で字幕となって流れる。文字になるのが遅れてしまうのはフジテレビも同じだが、TBSのアナウンサーは、切れ目ない戯言がだらだら画面下を占拠し続けたことを理解しているのだろうか。話が長いから1画面に収まらず、ページ送りになってしまい、なかなか終わらない。小さい画面でボールの動きを追いながら、ページ送りの遅い長文を見るのはかなりの至難の業で、はっきり言ってアタックチャンス*4のパネルのように邪魔だ。何を話すかに夢中になって、何が視聴者に見えているか理解していただろうか。こういうことを書くと「字幕機能を切ればいいではないか」と言われそうなのであらかじめ言っておくが、わたしはテレビを操作して字幕機能を切ることができるが、TBSは必要と思って字幕放送を流しているわけである。必要としている人もいるに違いない。障碍者に配慮した姿勢を見せるため、統計上の字幕放送率を高めようとして、必要がないけれど流していたのではないと思いたい。それなら字幕がどう流れているかも気をつけてほしいと思うのだ。抑揚や絶叫で臨場感を伝えるのではなくて、必要なことだけを短い文で言う訓練が必要なのだと思う。
 複数の解説者に公平にマイクを渡し、全体の論調をしっかりまとめる。選挙のウグイス嬢やちり紙交換、石焼き芋屋のような垂れ流しとは異なり、非常に努力しているのだとは思う。ただ、時代に合わなくなっただけだ。その技術はラジオで活用していただきたい。

本当にうるさい。だまっていてほしい。

 ぜひともご検討いただきたい。

*1:北京五輪出場権獲得までもう少しであることに何回ふれただろうか。プロ野球中継で日々変わるリーグ順位を言うのはいいと思うが、バレー中継を見ようとしている人のほとんどはそのことを知っているはずである。どうでもいいことを言うくらいなら黙っていてほしい

*2:アナリスト、パソコン、各国のビデオカメラ・・・フジテレビは新しい試合の形をきちんと発掘して視聴者に伝えている

*3:アナログテレビでは、デジタルテレビの両端が切れてしまう

*4:アタッククイズ25